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3件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1952-02-14 第13回国会 衆議院 法務委員会 第13号

黒田参考人 大体二番目はそれだけにいたします。  次は受刑者一般的状況であります。ただいま向うにおりますのは、死刑が約六十名、無期有期が五十名、そのうちの無期が二十九名、有期が二十一名ということになつております。このほかに日本人だけれども、フイリピンで生れたというので、実際はアメリカ裁判にひつかかつて二人とも死刑の判決を受けたのですが、アメリカの弁護士が気の毒だというので、国籍がフイリピンになつておるのを

黒田重徳

1952-02-14 第13回国会 衆議院 法務委員会 第13号

黒田参考人 現在の政治の模様を簡單に申し上げます。十八年の五月に参りましたときに、東條さんが独立を約束して、その準備を私が命ぜられたのでありますが、それから有力な人たちに協力していただきまして憲法をつくり、ラウレルを大統領にしてずつと戰争を遂行したのであります。ところが御承知のようなぐあいになりまして、終戰後われわれと一緒に働いてもらつたそういう人たちはすつかり牢屋にぶち込まれてしまつた。ただロハス

黒田重徳

1952-02-14 第13回国会 衆議院 法務委員会 第13号

黒田参考人 私黒田であります。本席でいろいろな戰犯にすることを述べさせていただくことは、私のたいへん仕合せに感ずる次第でございます。私は開戰戰当時は東京にある陸軍の教育総監部本部長をしておりました。翌年の七月にシンガポールが落ちたあとに南方総軍の寺内さんの総参謀長になつて、その幕僚長で参りました。それから十八年の五月にフィリピン軍司令官に参りまして、十九年の九月に交代、十月に内地に帰りまして、

黒田重徳

1952-02-14 第13回国会 参議院 厚生委員会 第7号

証人黒田重徳君) そういうことは最前申上げましたように、新聞あたり模様から見ましても、又家族会そのほかの通信がたくさん参りまして、内地で皆さんの、殊に死刑囚若しくは有期無期内地服役ということについて嘆願その他を最沢力強くやつて頂いておるということはよく存じております。そういうような関係もありまして、今のもう死刑はないのじやないかということの感じがフィリピンのいろいろな人が言うことと一緒になつて

黒田重徳

1952-02-14 第13回国会 参議院 厚生委員会 第7号

証人黒田重徳君) 私はそこの確実なところは聞かないのですが、ただ一般にそういうふうな空気を皆感じておる、誰が言つたというふうな証拠は私は聞きません。だが、フィリピン人あたりが、講和条約が調印になわぱ日本に帰れるのだとか、もう死刑はないのだというようなことを先生たち言つたらしいのです。そういうようなことで、まあ一般的に大体死刑はないのだというような、根拠は非常に薄いように私は感じておりますが、去年

黒田重徳

1952-02-14 第13回国会 参議院 厚生委員会 第7号

証人黒田重徳君) 私は終戦後すぐ捕まりまして、東京で捕まりまして、四七年の十月にフィリピンに送られました。四八年の暮から裁判を受けまして、四九年の七月に終身刑に処せられました。昨年の十二月二十三日に大統領のパードンを頂いて帰つたのであります。只今戦犯で刑を受けた者がフィリピンのマニラの南方の三十キロばかりのモンテインルパという街にあるニュービリビツト・プリズンにおりました。ニュービリビツト・プリズン

黒田重徳

1952-02-13 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

黒田参考人 戦犯者家族、遺族、留守家族人たちに対するいろいろな御盡力、また戰犯者自身に対する御盡力を承つておりますが、今先生からあらためて承りまして、実に感激いたす次第であります。私もむろん微力でどうもできませんが、御指導にあずかつて、何とか力を盡したいと考えておる次第であります。よろしくお願いいたします。  慰問品のことでありますが、ただいまのところでは、読み物は日赤を通じて参つております。

黒田重徳

1952-02-13 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

黒田参考人 それは昨年の今ころだと思います。実際はわれわれは新聞を読んではいかぬことになつているのですが、私はいろいろ便宜があつて読んでいたのですが、フイリピン新聞に、ミンダナオの付近にたくさんまだそういう者がおるということが一時新聞に出ました。しかしその後は一度も聞きません。最近ルバング島に三名ばかり日本人が出て来て、何か食い物をとりに来て、見つかつてフイリピン人を殺して逃げたので、それを討伐

黒田重徳

1952-02-13 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

黒田参考人 私が黒田でございますが、私の方からわざわざお願いしてでも申し上げたいと思つてつたのでありますが、その機会を與えられましてたいへんありがたく存じております。  終戰よりという問題でありますが、私は御承知かしりませんが、フィリピンの十四軍司令部に行きましたのが昭和十八年の五月二十九日です。やめましたのが十九年の九月一ぱいにやめて山下氏に引継いだのであります。それからすぐ内地に帰つて来ておりまして

黒田重徳

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